「蓄熱式」という呼称は普及してきています。
それとともに、「応用」というのか様々な工夫がもたらされています。
そして、その想像的な「応用」の多くは微妙に誤っています。「輻射効果」と空調的な「空気の対流」とを混同し、原理的に「蓄熱」を採用しながら、せっかく蓄熱体に溜まった熱を積極的に空気へと移動させ、空調として扱ってしまうという致命的なミス。
それならエアコンを利用すべきです。日本の家庭用エアコンは優れています。
このページでは「熱」の解剖を試みています。。
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「蓄熱」においては「熱」を温度で想像するときの意味は、これはあくまで目安だ、ということです。結果的に暖まっているのでいいじゃないか、ともいえるのですが。
しかし不合理です。大回りして振り出しに戻っているのです。

温度と熱量 端的に言うと、蓄熱体(コンクリート)と空気の熱量差は約,500対1です。
これはアバウトな計算ですが、20℃のコンクリート1立法メートルと20℃の空気1立方メートルとを熱量で比較すると、コンクリートは10,00kcal(11.6kW)で空気は6.7kcal(0.008kW)です。
もう少し具体的に比較すると、24畳相当の空間に置き換えます。
10畳の床下に蓄熱体が3.89立方メートルあり、室内空間が93立方メートルあるとします。温度は20℃です。
このときのそれぞれの熱量は、蓄熱体は38,899kcal(45.2kW)、室内の空気は4,175kcal(4.9kW)となります。
時間を考えに入れる 「輻射」「伝熱」「対流」といった熱運動(熱利用)は、必ず時間経過を伴っています。
言い方を換えると、いずれの運動でも「熱」は必ずより温度の低い方へと逃げていく、一所不在の性質を持つ、ということです。それがなかなか逃げないと魔法的で、だから「魔法瓶」なるもっともな呼称が普及しています。この魔法瓶もまた時間が経過すると当然ながら冷めてゆくので、今度は電気で保温して一定の温度を保つものに改良され、これは便利ですので広く普及しています。
いかなる熱も最後は宇宙へと逃げてしまいますが、その前にひとまず給湯用として、あるいは暖房用としてひととき利用していることになります。
必要な熱は人為的に作り出し、さらに避けがたい熱ロスは魔法瓶のように「断熱」で時間の経過を遅らせる、というのが現代住宅の目標の一つです。
それで国土交通省も地域別に熱の貫流率(Q値)や気密性(C値)などを例示しています。ただしこれも寒暖計の温度と同様で「目安」であり、時間の推移とともに屋内外の温度差の変化により連続的に性能は変化します。
「目安」とは、物理では無視のできない「時間」を便宜的に停止させたものです。
熱は不可避的に絶え間なく運動(移動)するため、それを少しでも温存する工夫が暖房システムにも建築物にも必要だということです。
熱 移 動 「輻射」「伝熱」「対流」というのは、熱が一所不在の性質から常に逃げようとしている運動の姿だといえますが、その媒体が気体や液体といった流動体である場合は、温度による分子の密度(比重)の変化により重力の影響を受けて沈もうとし、あるいは沈もうとする流体が比重の軽くなった流体を沈む力で押し上げる様子を示しています。この運動の速度は「輻射」と比べるとウサギとカメ以上の圧倒的な速度差があります。
「輻射熱」と呼ばれる現象は。熱エネルギーがいわば中空を温度の低い物へと向かって移動すべく飛ぶ姿のことです。「赤外線」とも呼ばれる電磁波であり、光線同様に光速で移動します。速度は30万km/秒で、月まで1.5秒で達する速度です。
※床冷房の場合などは、俗に「冷輻射」などと便宜的にいいますが、実際は冷気が飛んでくるわけではなく、周囲より低い温度の床面へと、室内にある人を含む物に含まれる熱が遠赤外線の形で床へと移動する、というのが正しい考え方です。
また、物と直接に接する空気との無関係は、熱交換速度として考えるととても遅く、ほとんどカメ状態だといえます。
同じ熱交換速度でいうと、温度の相違する物と物を接した場合、それが純金ならもっとも早い、と想像できます。
湿   度 「冷やす」、結果として「結露する」、という関係においても、ひとまず時間経過を念頭に置いて正確に検討する必要があります。
そのモデルとなるのは、冷たい水の入ったコップです。だれでもこのコップに結露する様子は見守ったことがあり、温度と湿度の関係をすみやかに了解する経験をもっています。
ただし、「体験」と「経験」は違うといったパリの日本人哲学者(森有正)もいます。体験はその相対的な意味を了解したうえでないと経験化できず、つまり活かすことができない、といった意味です。
冷たい水の入ったコップと結露は分かちがたい自然の摂理、と感じるのは体験的な感想です。
ここでも時間経過を加味して考えるべきです。冷熱と結露の因果関係は正しいとして、結露には二つの異なる温度が必要であり、新しい湿気を含んだ空気の補給といった条件も想像する必要があります。
冷たい水の入ったコップに扇風機を回して風を当てると熱交換速度が速まり、結露は早く、激しく生じ、その分だけ熱エネルギーを早く消費するため、コップの冷水じきに周囲の空気温度に接近して結露は止まります。露点温度に必要な温度差を失ってしまうからです。
これは想像上の実験ですが、ここで人為的にコップの中に冷却装置を取付けて水の温度を初期のままに保つと、扇風機は効果を発揮して結露はさらに続くようになります。エアコンの除湿はこのようにおこなわれますが、そのまま結露させておくとまた、結露が終わる時間がやって来ます。室内の湿度が下がってしまうと同時に、あるいは室内の空気温度が小さな冷たいコップのせいで冷やされるから、と極限値でいうことができます。
こうなると眉唾ものですが、結露を時間経過で考えるとこんな感じです。
実際にはエアコンにしろ床冷房にしろ、温度や湿度の分布には差が出ます。
強制的な対流やか換気などは電気的に考えると分かり易いはずですが、もっとも抵抗値の低いルートを電気は最短コースを選んで流れますが、他の物理運動もまた、徹底的にそのようなご都合主義である、ということです。
そのため各種のコントロールが必要になります。
蓄冷体は無暗に気流や対流に晒さないことが必要であり、床冷房においては温度限界を知り、除湿も別途に考えることが必要です。
人の快・不快 気象変動の激しくなったアジアモンスーンの端に位置する現代日本という地に住む人がもし、「快適さ」について希求するとしたら、その条件気なんでしょうか。
終始じっとしている人と動き回る人でも条件は相違するでしょうが、人というものはサバンナの木陰で鼓腹を感じつつノンビリ昼寝して満足、というわけにもゆきません。もっと厄介で複雑です。
確かにライオン同様、人も「喰う寝るところに住むところ」といった基本条件は一緒ですが、その求めるところの快感というか快適さは複雑多義です。
それを強引に温度と湿度に限ってさえ、要求される条件は相違します。
何事によらず、実際の応用場面(エンジニアリング)では、平均値で推測するしかありません。あとは使用者により若干の調整が可能なようにプランニングするしかないのが実情です。
それにしても、形、色彩、家庭内での人の動線、趣味性、

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