蓄熱工房株式会社
 
 ヒートポンプの特性・外気温度との関係
 
ヒートポンプ概要
「ヒートポンプ」は「空気熱ヒートポンプ」とも呼ばれるものです。
モーターでポンプ(圧縮機=コンブレッサー)を駆動し、冷媒(フロン・CO2など)を圧縮したり開放して気化または液化し、冷房や暖房をおこないます。
このサイクルを発明したのはアメリカ人で、ウィルス・キャリアという人物。なにやら保菌者みたいな名前の人ですが、このシステムを考え出したのは実に百年以上前のこと。
 当時は媒体に水を使ってのことでしたが、考え方は現代に通じます。彼は湿度・絶対湿度・露点温度の比例関係に気づき、これをシステム化しました。それが1906年でいまからおよそ120年前のことです。

 
コンバータとインバーター
 運転の強さを昔なら「教」「中」「弱」と段階的におこなっていましたが、インバーター制御はこれを連続的におこないます。比例制御とか微分積分制御と呼ばれることもあります。
 電気理論的には以前から知られていた交流と直流の特性が、実際の使用に耐えられるように、いまでは電子制御で交流電気を瞬時に直流に変換(コンバータほ)して電圧・周波数を変更し、また交流に戻す(インバーター)という技術です。この切れ目のない連続的な変換の緻密さは日本の十八番と呼べる技術に進化しています。エンジニアリング・ニッポンといいうる代表的な技術の一つといえます。かつてはみ後発メーカーだったダイキンなどもエアコンに特化した開発で他の家電メーカーを追い上げ、いまでは追い越していると思います。三菱・日立・パナソニック・富士通・シャープなど名だたるメーカーがありますが、
 設定・指定された温度環境を目標に、微妙な制御で近づけます。モーターひいてはコンプレッサーをこの技術が強中弱の段差なしに連続的に制御します。
 インバーターはエアコンばかりでなく、冷蔵庫はもちろん、照明なども無段階に明暗を調整するのに使われています。洗濯機にも利用されているものがあります。
 余談ですが、考え方としては似ているもので、インバーターではありませんが、日本の給湯器もお湯の量を連続的に変えても一定の温度が保たれるよう、指定温度維持のためにこの比例制御の考え方が採用されています。アイデアは誰もが知るToToというトイレで有名になったメーカーが考え出し、他メーカーもすぐに追随してこの制御方式を採用しました。
 今では日本の家庭の全国津々浦々に普及しています。蛇口をひねってお湯を出すと、出湯量の太い細いに関わらず、リモコンで指定した温度を機械は律儀に維持しようとします。じつに精密な制御です。やはり比例制御とか微分積分制御とかの言い方で業者間では呼ばれたりします。いまでは当たり前すぎてただ「湯沸かし器」とだけ言っています。完成度としてはかなり高度で、かつての大型ボイラーにもとってかわり、かなり大型の湯沸かし器も使われています。
 そうした高完成度から、いきおい故障率もかなり下がり、長持ちしすぎて本当に危険な状態まで使えるため「安全性」の点での苦慮がメーカー側にはあります。15年経っていたら適当なところで交換すべきです。COP値※もほぼ限界(0.9程度)まで良くなっています。ただしこの限界値まで熱回収をおこなう結果として、気体として空中へ排気くされるNoX(窒素酸化物)が濃縮され、ドレン水として発生します。


※COP=エネルギー消費効率
 
エネルギー問題の周辺
 化石燃料系は成分としてC(炭素)やH(水素)が含まれているため、あるいはそもそも空気中の窒素が作用し、湯沸かし器などを高効率燃焼にすると、排気として空中へではなくこれが凝縮されて強酸性水となり、結露の形で発生します。このためこうした高効率湯沸かし器には中和器が取り付けられ中性の形で排水されています。
 窒素酸化物やCO2はもちろん、火力発電でも大量に排出されています。ガスばかりではなく電気も、発電においてやはり自然環境を変えうる性質は持っています。多くはメタンガスを使用(ガス会社より電力会社の方が多く消費)しますが、だからエネルギーをあまり使わない、というのは単純に正解にしても、これは省エネとは考え方が違います。単に経済的倹約です。エネルギーはできれば思う存分使いたい、それに越したことはありません。なお発展途上の国々ではさらなる発展のために多種のエネルギーを必要としており、消費は減るよりも増える方向にあります。
 環境問題と資源問題および経済問題は現実には分離できません。以前なら資源の枯渇を心配していたところが、いつの間にか環境破壊の問題となり、さらにエネルギーは巨大なマーケットを形成しているため、往々にして投機対象になりやすく、その乱高下が生活を脅かしもします。
 エネルギー問題の中身は、不安感としてはこうした内容で満たされた複合的なもので、それゆえに問題の原寸大より大きく、場合によっては過少に判断されていると推測されます。
 マクロ的に、あるいは乱暴な言い方をすれば、小出しに使っても乱費しても排出ガスの総量は変わりはしない、ということになります。使われる資源量も同じということです。
 ゆえにさっさと使い切れば、その在庫ゼロが見え出した時点で、その目的が金儲けであろうとなんだろうと、技術的アイデアや革新は反比例して必ず加速する、といえます。こ現実的に考えてのことですが、漠然とした不安感の中では決して加速されない、といえます。利益追求ほど、利害関係ほど、人間は
慎重になります。シナリオをあれこれ考え、見直し、さらに現実主義者は躊躇なく修正します。火急の問題にプライドや意地などまったく無意味です。「一貫性」こそが気の迷いです。伝統格式を重んじる京都の団子屋さんですら、言葉では言いつつ時代に合わせた新作菓子を模索しています。もちろん「千年経っても変えない」という変哲職人魂もそれはそれで愉快ですが、特にエンジニアリング、それ以上に科学は進むしかない、もろもろの概念を常時疑い、誤謬を見つければ更新するしかない「運命性」をその性質に内蔵しています。
 
 エネルギーの日常次元での使い方

 よくガス会社が 「メタンはクリーンエネルギー」と銘打ち、キャンペーンをやっていました。これは現実的な比較として薪・炭・石炭・軽油・やガソリンニなどに比べればマシ、といった程度の意味です。メタンを燃やせばNoXも問題になったまま膠着状態のCO2もふんだんに出ます。なにしろ消費量が圧倒的です。発電所でも家庭でも。かといっていまさら石炭では済みません。エンジニアリングは前進するしかない、出来るか出来ないか、そんな算段をするジャンルではありません。ドラえもんと同じ、「出来たらいいな」の世界です。
 使うしかないエネルギー、と観念すべきです。広い意味ですべてはエネルギーで動いています。人間自身が食物などをエネルギーとして消費し、その燃焼に空気を使って口からは排気ガス(CO2)を輩出しています。牛のゲップ(メタン)も問題になったことがあります。摂取・商家分解・排泄はエネルギー・サイクルです。太ったら痩せるべく走り、蓄積した体内エネルギーを熱に変えて捨ててしまう、というもったいなさ。浪費です。なんという贅沢。さらにビールを含む炭酸(CO2)飲料を飲んでゲップしています。ダイエットの半面でスイーツは別腹、つまり別問題として受け入れます。
 これらから人間がいい加減な存在、と結論付けるのはかなり早計です。矛盾に満ちているとは、小学生でも分かるでしょうが、だからこそ、ガキなどには分からない大人の苦労、社会人の我慢の様子が垣間見えるといえます。これは子供には分からない。生きるというのはそもそも、多くは仕方なく、カッタルイのに耐えているのは、お巡りさんからヤクザまで同じです。そう見ればみんなそのように見えてしまう、ということです。
 生活するというのは、そうした混乱の中でなんとかバランスを取る舵を取る、、とでもいった状態のことです。そもそも「つつがない暮らし」などゴメン、とのたまうのは多くの若者です。
 エネルギー問題の諸相に対して、、「そんなことは節約としてやっている」という日常的な使い方が現実的な正解だ、といえます。
 同時に、なお技術は進化させるしかない、と言わざるを得ません。単により便利な知らしというのに留まらず、技術目的に社会的テーマが時代ごとに加味されてきた、と考えるのが゛妥当でしょう。
 こうした制御は実用性という点で大変便利ですが、だからこその注意も必要です。
 たとえばこの給湯器の場合、使用者が蛇口を一気に大きく一敗に開くと、ガスの炎は最大限に大きくなり、機器内部ではガスの燃焼が最大となり、手を洗う程度でもおよそ2,000〜24,000までの連続的な制御の範囲を持っていて、不用意にお湯を出しすぎるとそれなりに燃料を消費してしまいます。便利でありつつ使い方には注意が必要です。

※「ハイブリット」とはそもそも何か?


内燃機関駆動車



モーター駆動車
ここで、「ハイブリット」とはそもそも何か?です。
結論から言えばこれは「つなぎ」であり過渡的な商品です。
車でも給湯設備でも暖房用商品でもみんな同じことです。特に車はレシプロエンジンにより燃料で走る内燃機関としての長い歴史をもっています。ここでいきなり「電気自動車」へ転換しては、工場や熟練技術工のみなさんは一気に失業です。産業としての技術転換には時間がかかります。
ただし使用者は即時返還可能で、自由です。一気に電気自動車に乗り換えるのはありです。なんの遠慮がいるものか、といったところ。あくまでまだ値段が高いので控える、といった投資対効果のバランスシート上の問題です。しかし自由です。
その反面、原油価格はグローバルな規模で大きく変動するのも事実ですから、この際は中途半端な状態を避けて結論に飛ぶ、と判断するのもよしです。
エネルギーの確保はもちや、多様性により賄うのが現実的選択となっています。自然エネルギー利用も含め、従来からの火力発電や原子力発電に頼りつつも、企業や家庭単位で自家発電してまかなうことも意味があります。
太陽光発電など手軽なシステムも充実しつつあり、蓄電池がなお高い印象がありますが、自然保護などもろもろの煩わしさを思えば、少々の自己投資は利己的で同時に利他的な性質も持つという、ある意味でバランスのとれた賢い選択といえます。
内燃機関とモーター駆動の二つのメカニズムを搭載する、というのはムダです。電気自動車=モーター駆動車のほうが構造的にシンプルなのは明白。ただし、レシプロエンジンの進化ぶりは、人の手仕事としても惚れ惚れするような精密さ、完成度に溢れていて、「惜しい」という気持ちはよく分かります。手仕事の最高峰という賛辞は惜しみません。そうした見事に複雑化(?)したメカニズムをシンプル化するのが可能なのも、そうした緻密な思考の結果・賜物と素直に認める必要もあります。
素朴化は過去への回帰ではなく進化です。複雑思考なくして単純化はありません。田舎生活に憧れ、そうして移住して楽しめるのもまた、都市生活者ならでは、というのと同じです。

ホームへ戻る